隠れアスペルガー

隠れアスペルガーは矯正できる|それが幸せかはわからないけれど

私は隠れアスペルガーとADHDの傾向があるため、かなり生きづらい学生時代を過ごしました。

実は私も隠れアスペルガーです小さい頃から、人との距離感が分からず生きにくかったです。 みんなが息をするようにわかる人との付き合い方が、私にだけわからない。 ...

楽しく話したいだけなのに、余計なことを言ってしまったり調子に乗ったり。私が会話に入ると、盛り上がっていたはずの会話が急に盛り下がったり。

明らかにおかしな雰囲気になっているのに、何がいけなかったのかわからない。

空気を読もうとすればするほど空回りし、心がすり減って疲れ果て、自己肯定感はどんどん下がっていきました。

 

職選びの失敗

勉強はできたので、私は大学進学希望でした。

本当は「中卒で働け」と言われていましたが、母が父を説得し何とか高校まで行かせてもらいました。

ただ、行きたかった進学校は交通費がかかるので諦め、家から自転車で通えるそこそこの高校に泣く泣く入学しました。

高校の先生は大学に行かせてくれるよう一緒に親に頼んでくれましたが、「高校まで出たら十分」と一蹴されました。そこで、必ず就職先があり奨学金ももらえるという専門学校に何とか進学させてもらいましたが、職業の選択肢はたった1つでした。

本当は中卒で就職と言われていたので、高校に行かせてもらえただけでもありがたいのですが、自分よりずっと成績が下だった同級生が大学に進学する姿を見るのはとても辛かったです。

 

 

そうして私は、社会性に欠けていて注意力にも乏しいのに、『常に多重課題をこなす必要があり、失敗すると人の命に関わる接客業』という、一番向いていない職業を選んでしまいました。

働き始めからの数年間はかなり辛かったです。

気を付けてもうっかりミスが後を絶たない。ミスをしないように注意をすれば仕事が遅い。職場ではみんなの二面性を見て人間不信に陥る。

もともと使命感・正義感が強かったので仕事内容は好きでしたし、真面目で努力家であったため可愛がってくれる上司や先輩もいましたが、完璧にできない自分への失望感と人間関係で心をすり減らし3年で職場を去りました。

 

その後結婚して子供を産んでから、7年ぶりに職場復帰しました。

以前の上司からの誘いでもともといた職場に戻ったのですが、今思うと全然ダメな人間だったら職場からの誘いはなかったと思います。

あの頃は、とにかく自分はダメで、みんなもそう思って迷惑していると思い込んでいました。

自己肯定感が低い状態というのは本当に辛いものです。

 

復帰した部署は、以前の知識が全く生かせないだけでなく、より高い専門性と完璧さと迅速な判断力が要求される職場でした。

1歳の子供を抱えながら、毎日深夜まで勉強して仕事に行きましたが完璧にできない。毎日毎日自分を責め続けました。

直属の上司には毎日罵倒され、指導係の先輩には無視され雑巾を投げつけられたり怒鳴られたり、「何を考えてるかわからなくて気持ち悪い。お前の顔を見てるだけでむかつくんだよ」と言われたりしました。

その上司と先輩はいつも二人で怒鳴り合ってどちらかを泣かせていたので、気性の荒い人たちだったのでしょうが、私の空気の読めなさが二人を苛立たせたのでしょう。

自分が他人にとって気の障る存在なのは子供の頃から自覚していましたから、発言にも行動にも細心の注意を払いました。それでも、「他の人と笑って話していたけど、私の悪口を言っていたんだろう」とか、「〇〇がなくなったのは、お前が捨てたからだろう」などと事実に反することで責められます。

反論すると大変なことになるので謝ると、「悪いと思っていないのに謝るのがムカつく」と責められるので、本当にどうしたらいいかわからず辛い毎日でした。

飲み会も私に内緒で行われていたようです。ある時他の部署の人に、「なぜステファニーさんはいつも飲み会に来ないの?そういうの嫌いなの?」と聞かれて初めて、内緒の飲み会の存在を知りました。

気を使って疲れるだけなので別に誘われなくても良かったのですが、直接他の部署の人が誘ってくれるようになりました。私が他の人たちと仲良くなると指導係の先輩は次第に参加しなくなり、しまいに仕事を辞めてしまいました。

なぜか私は他の部署の人やすごく立場が上の人から可愛がられるのですが、それも気に障った理由の一つのようでした。

後に別の上司に「あのいじめは嫉妬だったと思う」と言われました。今思うとそうだったのかも知れませんが、あの頃の私は全ての原因が自分にあると思っていました。

そのため、全ての人に好かれるための努力をさらに続けました。

 

だんだんとうまくやれるようになっていた

あれから10年以上経った今も同じ所で働いていますが、同僚や上司は素敵な人ばかりです。人間関係で精神的に疲れることはほとんどなくなりました。

以前に比べて人と一定の距離を取ることができるようになったし、まるで普通の人、いやそれ以上に上手に他人とコミュニケーションを取ることができるようになってきたと実感しています。

ただ今でもミスはするし、やらなくてはいけないことを忘れてしまうこともあるため、「自分は全然ダメな人間だ」という気持ちは心のどこかに持っています。

けれど、こんな私が管理職候補になっているのです。

自分で思っているほどダメじゃないらしいです。

 

私はこの経験から、隠れアスペルガーを矯正し、普通の人のように振舞えるようになることができると実感しました。

 

隠れアスペルガーを矯正するためにしたこと

私が隠れアスペルガーを矯正するためにしたこと。

それは読書と人間観察です。

本は自己啓発、占い、臨床心理学、精神分析学、ビジネス、スピリチュアルなど様々なジャンルの本を読みました。

そうして心に留まったことや人間観察で知った方法を、片っ端から実践してみたのです。

結果、私の生きづらさは以前よりも小さくなり、日本社会に適応できるようになりました。

けれど、苦手なことを克服するために力を注ぎ40歳を超えました。普通の人になるために40年以上もの時間を使ったのです。

 

凹凸を平らにするのは必ずしも幸せではない

アスペルガーやADHDは障害ではなく、凹凸です。凹みを埋めることは、凸の部分を削る事にもなりかねません。

これを普通の人に置き換えるとこうなります。

Aくんはピアノの才能がありましたが、100m走るのに20秒かかることを気に病んで毎日毎日練習し、40年かけて100mを中学生男子の平均である12秒37で走れるようになりました。その間ピアノの練習ができなかったため、ピアノは弾けなくなってしまいました。

どうでしょう。無駄な努力だと思いませんか?

これは凹凸という個性を消してしまった例です。

凹凸の凹んだ部分に目を向けすぎると、できないことで自分を恥じたり責めたりして自己肯定感を下げてしまいます。

最終的にできなかったことを成し遂げれば少しは自己肯定感も上がるでしょうが、それまでの40年間劣等感を持って自分を責め続けるのです。

40年間自分を認め満足して暮らすのとでは、どっちが良いと思いますか?

 

苦手なことを普通レベルに上げるために時間を費やすのではなく、得意なことを伸ばすためにその労力と時間を使えば、もっと早く社会に貢献することができるかもしれません。

苦手なことを克服しなくてはならないのは、苦手なことがあるのは『だめな自分』だと思っているからですよね。

社会性は基本的に必要な能力なので100m走とは違うかもしれませんが、社会に適応できる普通の人を完璧に目指すことがそんなに重要でしょうか。

何を望むかはそれぞれ違うと思いますが、凹凸があってもお互いがそれを認め尊重し、みんなが自分らしく暮らせる社会になってほしいと願っています。

 

 

ただ、現状として社会性がない状態で日本社会で生きるというのは大変なことも事実です。

社会性に欠けるということは、発達凹凸の傾向の子を持つ親にとってはとても心配ですよね。なので苦手なことはほどほどに練習し、長所を伸ばすことにできるだけ時間を使うと良いと思います。

100点は目指さなくて全然OKです。

次回からは、私が社会性を向上させるために実践した方法についてお話させていただきます。

 

 

うちの子も隠れアスペルガーです。

隠れアスペルガーという天使うちの子は特別な子。 隠れアスペルガーです。 アスペルガーという言葉は聞いたことがあると思いますが、『隠れアスペルガー』とは...

 

 

 

みなさんのGOOD LIFEを願って。

Lots of love ,  ステファニー

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ステファニー
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